年度

「福島復興支援 視察・交流ツアー」報告

2016年5月5日

日時 3月25日(金)~26日(土)

参加者 30人(CO・OPとやま13人、富山県生協・富大生協・あさひふるさと体験推進協議会・県生協連)

主催 富山県生協、生活協同組合CO・OPとやま

共催 富山県生協連合会、コープふくしま

 

3月25日(金)~26日(土)にかけて、視察・交流を通じて今後の支援について考え、被災地の現状を家族や友人、地域の方へお知らせしていくことを目的に、富山県生協との合同(富山県生協連合会、コープふくしまも共催)で福島を視察しました。

 

1日目:福島浜通り(富岡町⇒大熊町⇒双葉町⇒浪江町⇒南相馬市⇒南相馬市小高区)~飯館村 視察

 

視察に同行し案内していただいたコープふくしまの方より、車中にて福島に原発が誘致された経過のお話がありました。1960年に大熊町に原発建設の打診があり、当時の大熊町の財政は苦しく、「原発がきたら雇用が増える」、「町の財政が良くなって地域の人に還元される」、「原発は100%安全」、「雇用が増え出稼ぎに行かなくても仕事がある」、「家族と一緒に暮らせる」等、原発が来たら夢のような暮らしが待っているような話が持ち出され、町は受け入れを決定されたとのことでした。しかし、一般住民には建設されることが知らされていませんでした。

DSC00513富岡町に入り、この地域は車両通行可能時間が9:00~16:00までと決められていて毎日約6,000人の作業員が除染作業にあたっているとのの事でした。

 

 

町の中心地に入っていくと、家がたくさん並んでいるのに人の姿が全く見えませんでした。(帰還困難地域の状態なので当たり前ですが)震災から5年経過しているにもかかわらず、この地域は震災当日のまま時間が止まっているように感じました。人が住まないと、家はどんどん傷んでいき、中には小動物の住処になっている家もあります。居住制限区域は除染作業がすすんでいます。

DSC00497DSC00499フレコンバッグ(正式名:フレキシブルコンテナバッグで汚染土を入れておく黒い袋)が山のように積まれていました。 フレコンバッグの耐用年数は3~5年ほどなので、破損したら汚染土が露出してどうなるのだろうと心配になりました。除染作業は、表面の土をはがして新しい土を入れるのですが、山土などを機械的に入れているので、長年農地で使っていた土地の土と違ってすぐには農地としては使えないとの事でした。

 

道路1本を隔てて、帰還困難地域と居住制限区域が分かれていました。自宅が、避難指示区域に入るか入らないか、さらに帰宅困難区域になるかならないかで、立ち入りや宿泊の自由だけではなく、東京電力の補償金も違ってくるので、ご近所だったのに付き合いが難しくなったとの事例もあるとの事でした。

線量計だんだん福島第二原発や福島第一原発に近づくにつれ、放射線量の測定器の数値が、2マイクロシーベルトから8.72マイクロシーベルトと数値がどんどん上がって行きました。(ちなみに富山市は0.07マイクロシーベルトほど)目に見えず、体に何も感じないのに放射線量がどんどん高くなっていったことにショックと驚きがありました。ただ事故当時は20マイクロシーベルトの高さがあったとの事でした。(人間は、一度に7シーベルト放射能浴びると100%死ぬ。1マイクロシーベルトは1シーベルトの100万分の1)

 

 

2日目:コープふくしま方木田店にて福島の現状報告・学習会、福島の子ども保養プロジェクトに過去に参加されたご家族との昼食交流会

 

DSC00527コープふくしまの宍戸常務理事から、原発事故のあと福島に起こったこと、コープふくしまの放射線に関する調査や取り組みについてお話して頂きました。

放射能学習会、ガラスバッジによる外部被ばく調査、陰膳方式による食事に含まれる放射性物質量の調査、WBC(ホールボディカウンター)による内部被ばく調査など、組合員が放射能と向き合うための取り組みを続けてこられました。「放射能は怖い分だけ理性的に怖がることが大切」という言葉が印象的でした。ただ盲目的に怖い怖いと心配するのではなく、放射能について正しい知識を身につけたうえで怖がる事が大切との事です。

2014年に全国的に協力していただいた外部被ばく調査では福島県以外の地域と比較して、福島県民の外部被ばくが異常に高いわけではないことがわかりましたと報告ありました。

フランスIRSN(フランス放射線防護・原子力安全研究所)が公表している「放射性物質拡散シミュレーション」で事故当時の2011年3月12日~放射線がどのように飛散していったかの地図を時間経過とともにスクリーンに映し出されていました。(例えるなら天気予報でよく見る雲の動きを時間の経過とともに表しているようなイメージ。)3月15~16日にかけ特に大きく飛散していました。それをみると、北は北海道南部の海上沖、南は静岡県の富士山裾野辺りまで放射線が飛散していたことがわかりました。ただ大半は太平洋の方に流れていました。こんなに広範囲に飛散していたことを今回初めて知ったのでショックと驚きがありました。もし、その時間帯に雨が降っていたら、地表に放射能が付着していたのだろうと思いました。「原発事故による避難地域の複雑かつ多様な苦難」というお話の中で国はどんどん除染して家に帰るよう促していますが、実際なかなか家に戻られていない現状があるとのこと。その原因は除染してもその除染された汚染土の入ったフレコンバッグが山のように積まれていてそこに帰るのは不安。家には帰りたいけど安心して暮らせないとの報告がありました。

また、各地の生協が、福島県の農産物を買い支える取り組みを行っていることや、全国の生協の支援により被災者に寄り添う活動や被災地視察や報告学習会が行われていること、福島第一原発で起こったことや、その後どうなっているのかを学習しました。

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福島の家族との交流では、3組11人の家族から朝日町で遊んだ時の楽しかった思い出や、現在の福島での暮らしについて近況を報告いただきました。福島に住んでいて、福島は「安全である」、「安全でない」と両方の意見の間にあり、子どもたちがこれから大きくなって福島出身と普通に言えるよう願っていますと語っておられました。

 

コープふくしまの方は「目に見える物理的復興は確かに進んでいるかもしれませんが、目に見えない被災者の方々の心の復興はこれからだと思います。みなさんにはこのことを富山に帰って自分の感じたことを素直に伝えてもらい、風化させないで下さい。」との話があり、本当にその通りだと感じました。

マスコミでは知りえないこの目で見て感じたことをより多くの人に伝え、風化させないことが大切です。